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札幌地方裁判所 昭和43年(行ウ)44号 判決 1971年11月19日

原告

村田秀夫

代理人

彦坂敏尚

外一名

被告

北海道教育委員会

代表者

岡村正吉

代理人

山根喬

外二名

主文

被告が原告に対し昭和四一年四月一日にした「北海道赤平市公立学校教職員を免じ、北海道樺戸郡新十津川町公立学校教職員に任命する。北海道樺戸郡新十津川町立上尾白利加小学校教諭に補する。」との処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一、請求の趣旨

主文同旨。

二、請求の趣旨に対する答弁

1、原告の請求を棄却する。

2、訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求の原因

1、(本件転任処分)

被告は原告に対し昭和四一年四月一日付をもつて請求の趣旨記載の転任処分をした。

2(原告の経験及び本件転任処分がなされた経緯)

(一)(1) 原告は昭和九年三月樺太庁大泊中学校附設小学校教員講習所本科卒業以来今日にいたるまで公立学校教職員の職にあるもので、昭和二五年六月一五日赤平市立赤間小学校教諭に補され、同校総務を経て同三九年七月一日赤平市教育委員会より同校教頭を命ぜられ以来その職にあつた。

(2) また、原告は北海道内の教職員で組織された北海道教職員組合(以下「北教組」という)の組合員であり、昭和二三年四月から北教組月形支部副委員長、同赤平支部書記長、同副委員長、同二七年一〇月から赤平地区労働組合協議会議長、赤平地区労農商協議会議長、赤平市社会教育委員、空地民間教育団体連絡協議会会長等の諸団体の役員、公職を歴任し、赤間小学校においては、その教職員とともに職員会議を最高機関とする学校運営、赤平市全域における教育の向上と児童の父母の気持をも反映させた地域の実情に添う教育の実践に努力し、これらの諸活動の中心的役割を果してきた。

(二) 被告は、昭和四〇年度からいわゆる「広域人事五ケ年計画」を実施し、全道的視野に立ち広く人事の交流を図るとの美名のもとに北海道公立学校教職員の異動につきその思想、信条、労働運動等を理由とする差別人事を行つてきたのであるが、赤間小学校教職員の前記諸活動を極度に嫌悪し、右広域人事五ケ年計画に藉口して原告らを同校から他に配置転換しようと企図し昭和四〇年四月被告のこの方針に忠実であつた訴外浅水恭太郎を同校校長に任命した。

(三) 偏見をもつて同校に着任した訴外浅水はその当初から自ら前記の学校運営を妨害し、同校全教職員についてはもちろんその家族、友人についてまで、その思想、信条、労働組合ないし政治活動や私生活を徹底的に調査し、その調査の結果に基いて同校全教職員に関する資料を作成し、これを赤平市教育委員会及び被告に提出しその人事移動に関する意見を具申した。

(四) 右資料は異動を要する教職員を序列をつけて挙示するのみならず、教職員の氏名に○印を共産党員、△印を共産党同調者として付記したものであるが、原告については異動を要する教職員の第一順位者として掲記され、しかも○印をつけ、さらに「赤間小学校組織、並に赤平教員組織をつくりあげた元凶。学力テスト並に一〇月二二日半日休暇斗争の際の職員会議に於ても正面から校長に反対演説、他の教員これにつづく、日常業務に於ても校長補佐の任をつくさず。北鮮より勲章授与される(北鮮への支援、鮮人の世話。)妻は新婦人会副会長、堀江事務局長(赤間校教員)と共に活動を推進」と記載されていた。

(五) 訴外浅水は、被告に対し再三にわたり文書をもつて原告を赤間小学校から追放されたい旨上申した。

(六) 被告は、訴外浅水の右意見及びこれに基づく赤平市教育委員会の内申により本件転任処分をした。

3  (本件転任処分の違法性)

教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期せられなければならない(教育基本法六条二項)のであつて、原告においても人事異動が適正に行われているならば、何の異論もないところであるが、本件転任処分は、かねてから原告の民主的教育実践活動、労働運動を嫌悪し、赤間小学校からの追放を企図していた被告が、訴外浅水に対して原告の調査を命じ、その調査結果による前記意見具申に基づいてなされたものである。被告及び訴外浅水が行なつた前記調査は原告の思想及び良心の自由を侵すもので憲法一九条に違反するのみならずこの調査に基づきもつぱら原告の思想、信条、政治的意見ないし政治的所属関係を理由に他の教職員と差別扱いをするものであつて憲法一四条、地方公務員法一三条の各規定に反して違法であり、また原告が職員団体のために正当な行為をしたことの故をもつて原告に対し不利益な取扱をするものであつて同法五六条の規定に違反する。

4  原告は本件転任処分について昭和四一年五月三〇日北海道人事委員会に対し審査請求をなしたが、同委員会は右審査請求があつた日から二年三月を経過した今日にいたるも裁決をしない。

よつて被告のした本件転任処分の取消を求める。

二、請求原因に対する認否

1、請求原因事実第1項は認める。

2(一)  同第2項(一)(1)は認める、同(一)(2)は不知。

(二)  同第2項(二)のうち、被告が昭和四〇年から「広域人事五ケ年計画を実施した」こと及び被告が昭和四〇年四月訴外浅水恭太郎を赤平市立赤間小学校校長に任命したことは認めるが、その余は否認する。

(三)  同第2項(三)のうち、訴外浅水が被告に対し人事異動に関する希望を申し出たことは認めるが、その余は否認する。

(四)  同第2項(四)のうち、訴外浅水が「 」内主張のような内容の記載ある書面を提出したことは認めるが、その余は否認する。

(五)  同第2項(五)は否認する。

(六)  同第2項(六)のうち、被告が赤平市教育委員会の内申に基づき本件転任処分をしたことは認めるが、その余は否認する。

3  同第3項は否認する。

4  同第4項は認める。

三、本件転任処分の違法性

1(一)  被告は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地行法」という。) 三七条により北海道における市町村立小中学校教職員の任命権を有し、その人事異動にあたり北海道の教育振興のため、全道的な人事交流ならびに教職員構成の適正化及び僻地学校の教職員の充実強化を骨子とする人事異動方針を設定し、昭和三九年度右方針の下にいわゆる広域人事五ケ年計画を策定し(「昭和四〇年度小中学校教職員の人事交流の推進について(通達)」)、この計画にもとづき昭和四一年度には全道で六、六七〇人の人事異動を行なつた。

(二)  被告は、右人事異動手続推進にあたり、平等取扱の原則のもと「昭和四一年度北海道公立学校教職員人事異動実施要項」のなかで、異動対象者選定基準として「同一校長期勤務者とくに一〇年以上勤務者については異動に努めること」と定め、市町村立小中学校の校長を除く教職員の人事異動につき専決している道内各支庁管内ごとに被告の部局として設置されている各地方教育局局長に対しては「昭和四一年度公立小中学校教職員人事異動の実施について(通達)」を発し、異動対象者選定の基準として僻地学校教職員においては同一校勤務三年以上の者、利便地の学校教職員は五年以上の勤務者とする等指示してこれを明らかにした。

2  原告が属する赤平市立小中学校教職員の人事異動は、被告の空地地方教育局局長の専決により行われたものであるが、原告に対する本件転任処分は次のような事由により行われたものであり、適法である。

(一) 原告は昭和四一年三月末現在、赤平市立赤間小学校における勤務年数は一五年一〇月であり、同校教職員中同一校勤務年数最長期にわたる者である。

(二) 新十津川町立上尾白利加小学校(後、北美沢小学校と名称変更)は、昭和四一年度に教職員の定数増加により教職員の新らたな補充を必要としていた。補充教職員は僻地小規模学校の教育の充実のため経験豊かな有能な人が望まれていた。

(三) 原告は、教職員生活三二年余にわたり、経験は豊富であり、また道内においては未だ僻地校勤務の経験なく、前記人事異動方針の趣旨、通達等の諸基準に合致する。

(四) 訴外浅水が被告に提出した文書、メモは私文書であり公文書でないので、人事異動の資料とはなりえないから本件転任処分とは何ら関係あるものではない。

第三  証拠<省略>

理由

一(本件転任処分)

請求原因第一項は当事者間に争いがない。

二(本件転任処分の適法性)

1  原告の経歴

請求原因第二項(一)(1)の事実は当事者間に争いがなく、右事実によれば、本件転任処分時までの間における原告の公立学校教職員としての経験年数は三二年余でありこの間における赤平市立赤間小学校教諭としての継続在職年数は一五年一〇ケ月余であつて、しかも<証拠>を総合すれば、原告は同校における同一校勤務最長者にあたるものであつて本件転任処分以前においては北海道内のいわゆる僻地校に勤務した経験はなかつたことが認められる。

2  本件転任処分の経緯

(一)  「広域人事五ケ年計画」と本件転任処分

被告が昭和四〇年度から北海道公立学校教職員の人事異動に関しいわゆる「広域人事五ケ年計画」を実施したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、被告は右の五ケ年計画に基づく昭和四一年度北海道公立学校教職員の人事異動方針を、(1)全道的視野に立つて広く人事の交流を図る(2)教職員構成の適正化(3)僻地学校、特殊教育諸学校及び市町村立高等学校(定時制課程)の教職員の充実強化と定め、さらにその実施要領として、都市と郡部間及び僻地利便地間の交流、各学校における免許教科の不均衡の是正、経験年数、年令、性別等による教職員構成の適正化、僻地校については三年以上、利便地校については五年以上在職したものは原則として異動対象者とし、同一校長期勤務者とくに一〇年以上の勤務者については異動に努める等の事項を定め、その旨を管下地方教育局長に通達した。

そして、<証拠>を総合すれば、北海道空知地方教育局(以下「地方教育局」という。)は被告の一部局として北海道空知支庁管内の公立学校教職員の人事その他の事項を所管するものであつて、ことに右管内における公立小中学校教職員(ただし学校長をのぞく)の人事異動は事務分掌上地方教育局長の専決事項と定められているのであるが、右の人事異動に関する一般的手続としては、まず例年九月ころ、被告において次年度に実施すべき教職員の人事異動計画案を管下二九の市町村教育委員会教育長の一部で組織された人事給与専門委員会に諮問し、かつ全市町村教育長で構成される教育長会議の議を経て次年度における管下教職員の人事異動計画が決定され、ついで各市町村教育委員会は、この人事異動計画を各教育委員会独自の立場で検討してその実施方針を決定し、これをその教育長において関係学校長に説明してその諒解を取りつける(なお、赤平市教育委員会においては、この実施方針を赤平市における北教組の人事委員会にも説明してその諒解を取りつけるのが慣例とされていた。)一方、管下の全教職員に対して経歴の概要、転任希望等の有無、本人並びに家族の健康状態その他を記載した身上調書を作成させ、これに所属学校長の所見を付記させて提出させ、必要があれば教育長において当該教職員に面接してその希望意見を聴取し、前記身上調書に自らもその所見を記載すると同時にこの所見に基づいてその教育委員会の管内における異動対象者名簿を作成し、これらを地方教育局に送付すること、地方教育局長はこれを再度前記人事給与専門委員会に諮問し、教育長会議にかけて異動対象者を決定し、この決定により人事異動が内定した段階において市町村教育委員会は被告に対しこの内定にそう地行法三八条に基づく正式の内申を行ないその結果人事異動の発令が行なわれること、なお、市町村教育長から前記の身上調書及び異動対象者名簿が被告に送付された段階においても異動対象者とされた教職員の希望あるいはその他の必要から地方教育局長が直接その教職員に面接してその希望あるいは意見の陳述を聴取していること、そして本件転任処分の場合にあつても、地方教育局長が昭和四〇年七月ころ前記広域人事五ケ年計画に基づく被告の公立学校教職員の人事異動計画案を前記人事給与専門委員会に諮問したのをはじめとして右の手続にしたがつた作業が進められ、昭和四〇年一〇月ころには、原告の希望としては「交流による異動は希望しません。」、赤間小学校長浅水恭太郎の所見として「学究的で優れた才能の持ち主である。ひろく空知の教育を膚で感じさせることが本人を更に大成させる所以であり、彼が一五年間につくり上げた赤間の教育もひとしく世人の認めるところなので、此の際場所をかえて手腕を発揮すべきである。校長として起用されれば甚だ幸である。云々。」、赤平市教育委員会教育長(以下「市教育長」という。)所見として「異動本人のためにも学校のためにも教頭職として学校を替え地域を替えることによつて本人の力を充分発揮させてやりたい。」旨記載された原告に関する身上調書及び原告に関しては市教育長の所見と同旨の意見が付された異動対象者名簿が地方教育局に提出され、また原告に対しては市教育長に面接して転任に関する希望及び意見を述べる機会が与えられ、また右異動対象者名簿が作成された後であり本件転任処分のなされる昭和四一年三月のはじめころ地方教育局長と面接して転任に関する希望及び意見を述べる機会も与えられたが、結局その希望も容れられることなく本件転任処分がなされるにいたつたこと、以上の事実が認められ、他にこの認定を左右するに足る証拠がない。

(二)  本件転任処分の経緯

原告が本件転任処分について昭和四一年五月三〇日北海道人事委員会に対して審査請求をしたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば右甲第一ないし第八号証、同一〇ないし第一八号証、同第九号証の一、二は、もと地方教育局に保管されていたのであるが、被告が昭和四一年七月一二日右教育局に対し同年八月一〇日までに本件の「人事異動に関する」資料を送付するよう照会した結果、同教育局から被告に送付されたものであつて、それを被告の職員が昭和四二年七月二〇日に開かれた右人事委員会の第一〇回審理の際に持参してその場に置き忘れたのを原告側関係者が発見し入手したものであることが認められ、これと他の関係証拠を総合すれば本件転任処分のなされるにいたつた実質的な経過は次のとおりであつたことが認められる。

(1) 訴外浅水恭太郎が昭和四〇年四月赤平市立赤間小学校の校長を命ぜられたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば次の事実を認定することができる。すなわち、

(イ) 訴外浅水恭太郎が赤間小学校校長として着任する以前、すでに地方教育局及び赤平市教育委員会、同校P・T・A会員その他の一部関係者の間に右小学校教職員中の大多数は共産党員又は共産党の同調者であり、他校とは異なり独特の教育実践及び学校運営がなされているとされていたのであるが、訴外浅水が同校に着任した当時も同校は教職員をもつて構成される職員会議を最高議決機関とし、学校の運営に関する諸問題は、まずその教職員中から選挙されたものによつて構成される学校運営委員会において討議されたのち職員会議にかけて決定する方法が採用されておりそのため昭和四〇年度に実施されたいわゆる学力テストに際し、同校は抽出校として指定されなかつたのであるが、訴外浅水においてこれを進んで実施すべく職員会議に提案したところ教職員に反対されてその提案を撤回せざるを得ない破目に陥つたこと等もあつて、これらは、学校の運営は学校長の経営意図の実現であり、職員会議は学校長の諮問機関にすぎないとする訴外浅水の考えに反するものであつた。また同校の教職員は地域別父兄会の開催、学級通信等により児童の父兄とも積極的に接触するなど校外での諸活動にも熱心であつたため、これらの諸活動がP・T・A等の一部関係者によつて批判されたこともあり、さらに原告はこれら一連の動きの中で常に中心的かつ主導的役割を演じておつたところ(同校の教職員中の大部分は原告の支持者だつたのであるが、その極一部には原告らのこの行動に反対するものがあつた。)原告のこの行動も、訴外浅水が日頃抱いていた教頭の職務としての校長の補佐とは校長の意図を学校運営に実現することであるとする考え方に著しく背反するものであつた。

訴外浅水は学校長の学校経営方針ないし意図に対する非協力者は問題教員であり、共産党員ないしその同調者は右にいう非協力者にあたるものと信じていたのであるが、訴外浅水は赤間小学校校長として着任以来、同校教職員に対する指導その他の校務に従事するよりもむしろ機会あるごとに積極的に同校教職員及びその家族、友人等の思想、信条、政治的行動に対する情報の収集に努力し、その結果知りえた原告らが共産党員又はその同調者であるとの風評と、前記原告らの一連の活動を総合して、原告は共産党員、かつ原告を支持する同校教職員も共産党員ないしその同調者であり、これらの共産党員ないしその同調者によつて、共産党の「赤間小学校組織」並びに「赤平教員組織」が結成されていて、原告はこれらの組織をつくりあげた元凶であると判断し、原告を含むこれらの共産党員ないしその同調者を赤間小学校の教職員中から排除しない限り、訴外浅水の意図する同校の運営は不能であり、昭和四一年度の同校の教職員の人事移動に際し、原告をはじめとする共産党員又はその同調者を同校から他校に転出させようと考えるにいたつた。そこでまず昭和四〇年一〇月ころ、それまで関知したところをとりまとめて別紙(一)のとおり同校教職員に関する思想行動の調査表(甲第二号証の一部、原告以外の人名は省略。ただし欄外の△同調者、○党員とある部分をのぞく。)さらに別紙(二)のとおりの村田夫婦の他の教職員に対する統制系列図(甲第一〇号証)その他を作成し、市教育長林幸雄、地方教育局長広瀬弘に直接手交し請求の原因2(三)(四)のうち訴外浅水が「 」内の記載がある文書を提出したことは当事者間に争いがない。)別紙(一)中原告をはじめとして○印を付されたものは共産党員、△印を付したものは共産党同調者であり、原告をはじめとする共産党員又はその同調者により訴外浅水の企図する赤間小学校の運営が阻害されていることを説明し同校の運営を正常化するためには原告らを同校から転出させることが必要であることを強調してその実現方を懇請し、加えて昭和四一年三月にいたりては右広瀬に対する「今回は万難を排し是非とも実現を見るよう格別の御配慮をお願い申し上げます。」旨の書簡(甲第九号証の一、二)、地方教育局次長平尾某に対する「本校の教員人事については……此の機会に粛正の断を下されるよう伏してお願い申し上げます。」旨の書簡(甲第四号証)、同教育局小中学校係長藪庄平に対する「当校村田教頭の件については再三お願い申し上げているところですが、……何分積年の弊極まつた感じのところですので短時間に一挙に改善ということは困難にしても、或程度の体制が整えられた段階で出せるだけの力は出し切つて努力致し度く……」旨の書簡(甲第三号証)を各々送付して右訴外浅水の希望の実現方を重ねて要請した。

(ロ) 林幸雄は、昭和三九年一月から昭和四三年七月まで赤平市教育長の地位にあつたもので、その就任当時前任者から赤間小学校の運営は前記のとおりになされていて学校長の経営方針が教職員に浸透しない問題校である旨の引継を受け、訴外浅水が同校に着任した時点においても同人に右の事情を説明し教職員の意思統一に努力するよう要望したことがあつたが、訴外浅水から別紙(一)(二)の書面を示され、かつ、訴外浅水から赤間小学校には共産党員又はその同調者である原告をはじめとする校長非協力者のグループと他の者による二つの流れが存在し、この非協力者のグループが訴外浅水の学校運営を阻害していること、かかる校内事情を刷新するためには、原告ら共産党員又はその同調者を他校へ転出させる必要のあることの説明を受けて、むしろ積極的に訴外浅水の意見に同調し、昭和四一年二月には平尾地方教育局次長に対して「赤間校浅水校長の一ケ年の経営上の意見を十分考慮に入れて対拠(ママ)されたい。」旨記載した文書(甲第一四号証)を送付する一方昭和四一年三月広瀬地方教育局長に対して「赤間小については御心配をかけて恐縮ですが……転任教員の後任には残党も大分居りますので相当抵抗も予想されるのでよい教官を願います。」旨記載した文書(甲第一一号証)を送付するなど訴外浅水の前記の希望の実現に努力した。

(ハ) 地方教育局においても広瀬弘地方教育局長は、前記のように訴外浅水から別紙(一)(二)の書面を受け取り、赤間小学校の校内事情の説明を受けた際、別紙(一)の書面欄外に「○党員、△同調者」と記入してこれを平尾地方教育局次長に交付するなど、訴外浅水の前記の行動を容認する態度をとつたばかりでなく、平尾地方教育局次長においても市教育長に提出された原告を含む二三名の氏名等を記載した「異動につき特に考慮を願う教職員」と題する書面(甲第一三号証)中の原告を含む一四名の教職員の氏名に○印を付し、その欄外に「○印は共産党又は同調者」と記入し、また、前記のように広瀬地方教育局長は、昭和四一年三月に藪地方教育局小中学校係長、市林教育長とともに赤平市教育委員会において原告に対する面接を行なつたが、その際、訴外浅水から地方教育局長に提出された別紙(一)(二)の書面はその場に持参し、藪係長において甲第二号証の組織図に赤ボールペンで「学校で①新任者には世話活動②せつとく活動③いやがらせ、妻でも校長住宅出入の者はかんしされていじめられている。」と記入し、また、右局長面接の資料としてあらかじめ市教育長から地方教育局長に提出されていた原告を含む一五名の教職員の氏名を記載した「個人面接予定者」と題する書面(甲第八号証)中の原告を含む六名につき同様藪係長において赤ボールペンをもつて共産党員であることを表示する記号としてと記入するなど、かえつて前記のとおり訴外浅水が提供した情報の確認に終始し、結局以上の資料に基づいて本件転任処分をした。

以上のとおりであつて証人浅水恭太郎、同広瀬弘の各証言中以上の認定に反する部分は措信できず、他にこの認定を左右する証拠がない。

三(当裁判所の判断)

以上の事実にもとづいて、当裁判所は被告のした本件転任処分が到底適法であるとはいえないものと判断した。以下その理由を述べることとする。

(一)  そもそも教職員の人事異動は、教育行政の一環として教育基本法の精神にもとづき、教育目的を遂行達成するために必要な諸条件の整備確立を目標とし(同法一〇条二項参照)、教職員の身分を尊重しつつ(同法六条二項参照)行なわれるべきであつて、そのためには当該教職員の経歴、前任校及び転任校の人的あるいは地理的、物的各状況以外に同人の個人的な事情(家族、年令、健康状態等)をも含めて、その前任校における具体的な教育活動につき正当かつ充分な配慮がなされるべきである。したがつてこのような考慮を欠いたまま僻地、非僻地間の交流を図る等の目標を名目に、当該教員の思想、信条を理由として人事異動を行なつた場合、その転任処分は思想、信条による差別の面からは憲法一四条、一九条に、処分の目的の面からは教育基本法の精神にいずれも反するものとして違法といわざるをえない。

付言するに、地方教育行政の組織及び運営に関する法律四〇条は当該教職員の意に反する転任が市町村を異にする場合免職及び採用という形式をとることから「意に反する」ということのみにより常に違法となるものではないことを規定したに止り、都道府県教育委員会の恣意にもとづく転任処分をも是認するような趣旨とは解することができないし、同法三八条一項が転任処分について市町村教育委員会の意思を尊重してその内申をまつて行なうものと定めているからといつて都道府県教育委員会が転任処分の主体として(同法三七条一項参照)その瑕疵につき責任を免れるものではないことは多言を要しない。しかも市町村教育委員会の内申に関しては前記転任事務の手続上北海道教育委員会がその転任処分の具体的な内容についてまで極めて大きな影響を有していることは推認するに難くない。

(二)  ひるがえつて本件をみるに前記二12(一)の事実よりすれば、被告の原告に対する本件転任処分は被告が設置した人事異動に関する基準ないし目標に形式的には背反しないようにみえる。しかしながら前記二の2(二)の事実を総合すれば、本件転任処分が被告設置の基準ないし目標にのつとり実質的に公平かつ不合理な差別なしに行なわれたとは到底認めることができず、かえつて前記基準、目標が本件の場合処分の真の理由を窺う隠れみの的な役割を果したとすら指摘できる。

すなわち、赤間小学校の浅水校長は校長の方針に非協力的な教職員は問題教員であり、共産党員ないしその同調者であれば問題教員であると信じ(なお前者についていえば、原告が現実に妥当でないような方法で同校長に協力しなかつたことを認めうる証拠は存在せず、後者については原告が共産党員あるいはその同調者であつたか否かを判断する必要はない。)、専ら教職員の思想、信条に関する情報を収集したうえ原告の思想、信条を嫌悪し、これを理由として身上調書の校長所見欄には美辞をつらねながら一方で原告を共産党員でありかつ赤間小学校組織並に赤平教員組織をつくりあげた元凶等と誹謗する前記文書、メモ等により市教育長、地方教育局長に原告の転任を強く願い出、また市教育長、被告の地方教育局長は人事異動を行なう際に本来なら当該教員の個人的事情、具体的教育活動につき正当な配慮をするべきところ、これらに対する配慮なしに、同校長が一見して極めて不合理な根拠にもとづき原告の転任を願い出ていることが明らかであるにもかかわらず、一般的に校長の判断に頼るというよりはむしろ浅水校長の不当な観点とその判断に同調した結果、たまたま原告が赤間小学校に長期に亘り在任していたという事情を名分に被告が本件転任処分を行なうに至つたことが認められる。

そうであるとすれば、その余の論点につき判断を加えるまでもなく本件転任処分は原告の思想、信条を理由とした偏見、恣意にもとづく違法、無効なものとして取消しを免れない。

四、(結論)

よつて、原告の被告に対する本訴請求は理由があるから正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(原島克己 前川鉄郎 稲田龍樹)

年令

本校勤続

○ 党員    △ 同調者

浅水恭太郎

五〇

一・〇〇

村田秀夫

五〇

一五・〇九

・赤間小学校組織並に赤平教員組織をつくりあげた元凶

・学力テスト、並に一〇月二二日半日休暇斗争の際の職員会議に於ても正面から校長に反対演説、他の教員これにつづく。

・日常業務に於ても校長補佐の任をつくさず

・北鮮より勲章授与される(北鮮への支援、鮮人の世話)

・妻は新婦人会副会長、堀江事務局長(赤間校教員)と共に活動を推進。

A

四六

一・〇〇

・昨年四月赴任した教員であるが前任校三笠小学校時代から問題視されていた。

・佐藤哲夫と同学年であり諸々の指導をしている傾向さえあり。

B

四〇

一・〇〇

・昨年四月赴任、前任地油谷小学校時代から党員と親交あつた由。

・妻新婦人会加入

五九

二・〇〇

C

三八

三・〇九

・村田とはかり万般についての段取りをし、住宅会議の結果が学校に持込まれる。

・村田の第一の子分 ・過去に於てはアカハタを西洋紙でつつみ児童に家庭へ持帰らせたりしていた由であるが現在は行動を秘す。

入党勧誘工作熱心。

四八

一・〇〇

D

三五

七・〇〇

・党運動には最も筋金の入つた人物

・国民救援会赤平支部責任者

・「村上国治を守る会」会長・特殊教育サークルにも影響を与えていることが考えられる。

・入党勧誘工作頗る熱心

三七

二・〇〇

三七

一・〇〇

三五

一・〇〇

E

三三

一一・〇〇

・党の市委員会機関紙を担当していたという。(アカハタ)

・現在も情報蒐集、調査活動と思われる不可解な行動が頗る多い。

・党の筋金入り。

三三

五・〇〇

三六

三・〇〇

F

三一

九・〇〇

・赤平新婦人会事務局長として活動

・古衣を知人教師、父兄からもらいうけ夜間出動して貧困家庭にうりつけ資金造成をしていたという。

宇野君技、相原則子、小田原美智子等と共に。

・選挙時の新婦人会の会合に於ては共産党に投票を申合わせる。

・三万八千円以上の共稼ぎ退職勧奨についてはその反対運動の推進役をつとめている。

・女教師中最も問題の教員

三二

一・〇〇

G

二九

九・〇〇

・北教組学校班長

三六

一・〇〇

H

三五

一〇・〇〇

・「村上国治を守る会」の役員、校内で毎月(二〇日)集金している。

・新婦人会、国治を守る会、党の活動には頗る熱心で労をいとわない。

I

二九

九・〇〇

・昭和三五年から三六年の第八回共産党大会にかけてうたごえ運動をすすめ多数の党員を獲得した殊勲者といわれている。

・現在も入党工作は実に熱心に教職員、父兄に対して行つている。

・市内に於ては通学区外の茂尻方面にまで出動している。

・妻美智子は赤間校勤務

J

二九

二・〇五

・日本原水禁東京大会に四〇年八月出席。

・教員、父兄への工作は頗る積極的に行つている。若手、教員の中で最も活動のさかんな一人。

K

二八

八・〇〇

・民青同書記長

・頻繁に自宅に於て青年男女の集会を行う。

・選挙の時は殆んど毎夜深夜に及ぶまで会合。

・党の役員会にも出席。・雨亮方面まで工作に出動。

四一

〇・〇四

L

二八

四・〇五

・北教組婦人部長(赤平支部)

・母親と女教師会を通しての活動、新婦人会の活動に熱心。

・夫千秋は赤間校に勤務。

・夫も母も一族そろつて村上国治の崇拝者。

M

二七

三・〇二

・母と女教師の会を利用しての政治活動さかん。

・新婦人会活動、党活動に熱心。

・新婦人会新聞の配付者。

N

二六

四・〇〇

・現在、学大養護学校教諭の講習受講中、三月終了。

講師

三六

・三月三一日まで期限付採用

養教

四九

六・一〇

事務

四六

〇・〇四

給食婦

O

四九

P

三六

Q

二八

R

二三

・日本原水禁東京大会(四〇年八月)出席。

・市職組細胞長。

給仕

二七

S

二一

・新婦人会、国治を守る会の運動に参加。

・民青に加わり活動。

・校内の動静、校長室の動静を村田に報告。

・油断のならない給仕。

使丁

七〇

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